2014年11月14日金曜日

【解説】キマジメくんのクリスチャン生活・献身篇

「キマジメくんのクリスチャン生活」第18話の解説。献身篇。
 本文はこちらから。


 これは、大学1年生のキマジメくんが、教会に「献身」するために大学を中退するかどうかで悩む話である。結局中退してしまうことから、彼は当初から「献身」するつもりだったと思われる。ただ一般常識を捨て切れなくて、悩んでいたのだろう。

 ちなみにここで言う「一般常識」とは、未成年が両親の了承を得ないで中退していいのかとか、大学生をしながらでも献身できるんじゃないかとか、そういう至極まっとうな考え方のことである。

「献身」そのものは、決して悪いものではない。
 たとえば「献身」して牧師や宣教師になる人がいないと、基本的に教会は維持できない(もちろん無牧教会もあるけれど)。また教会の運営には当然実務が必要で、たとえば事務とか、会計とか、電話応対とか、それなりに人手が必要になる。そういうのは「献身」したスタッフが担うのが通常だから、教会がある限り、誰かが「献身」することになる。

 けれどキマジメくんの教会を見てみると、先のミーティングの場面からわかる通り、すでに複数の「献身」したスタッフがいる。牧師には秘書まで付いている。教会員は100人に満たない規模だから、相対的にスタッフの数は多い。つまり、キマジメくんがフルタイムのスタッフにならなければならないほど、人材が深刻に不足している訳ではない。

 昨今、こういう聖霊派・福音派の教会が増えている。

 高校(主にチャーチスクール)を卒業する生徒たちに、「神様に生涯お仕えすることが最高の人生なのだ」と牧師が勧め、卒業後も生徒を教会活動に繋ぎとめておこうとしたり、手元で働かせようとしたりする。その為に教会が自前の「神学校」を作ったり、牧師の「直属の弟子」という身分を与えたり、事業を立ち上げてそこのスタッフにしたりと、あの手この手のおいしい条件(?)を提示して、生徒を勧誘する。

 生徒の方は、長年お世話になっている牧師の言うことだし、純粋に神様に仕えたいとも思っているから、(特に親の反対がなければ)「献身」の道を選ぶことが多い。

 その結果どうなるかというと、牧師が教会の活動を増やすので、スタッフたちは忙しくなり、薄給で長時間労働に従事することになる。そしてそのうち「神に仕えている」ことに過剰なプライドを持ち、自分たちの「働き」が最高だとか、他の教会はダメだとか、そういうことを明に暗に言うようになる。

 超教派の大きな集会なんかに行ってみると、彼らのエゴがよく見える。舞台に立って「素晴らしい」賛美やダンスや証を披露して、謙遜なフリして「主に栄光を帰します」とか言うけれど、そのくせ他の教会の「出し物」を上目線で眺めている。「ダンスはあの教会が一番だな」「賛美はウチが一番じゃね」「今度あの教会みたいに映像使ってみよう」「あの司会、ダメでしょ」とか、パフォーマンスの話と序列の話に終始する(もちろん全員が全員という訳ではない)。

 余談だけれど、川口リリアなどのホールでそういう集会がある時は、舞台裏を覗くと面白いかもしれない。ステージ袖は原則部外者立ち入り禁止だけれど、人の出入りが多いうえ、何のチェックもないから、誰が部外者かなんてわからない。関係者のフリして堂々と入っていけるし、ずっといてもいい。すると時々面白い(?)話が聞けるかもしれない。近隣で興味のある方はどうぞ。

 とにかくそんな風に、牧師が「教会という就職先」に新卒信徒を導き入れる、なんてことが最近多い。
 それのどこが悪いかというと、基本的には悪くないだろう。
 もちろん問題がない訳でなく、上記のような不遜な若者クリスチャンを作り出してしまったり、いつも書いているような信仰上の問題(体験主義とか能力主義とか、神秘主義とか感覚頼みとか)が延々と継承されたりする。

 それはそれでハッキリ間違っていると思う。
 けれど、少なくとも彼らは真面目にそれを信じている訳で、いくら言ったところで簡単には変わらない。それに薄給とか長時間労働とか、ボーナスがないとか国民年金しか入れないとか、(おそらく)退職金もないとか、そういうことをきちんと納得してやっているのなら、それを他人が止める法はないだろう。そして教会がちゃんと存続し、約束の給料を毎月スタッフに払えているなら、それはそれで続いていく。そしてそういう生活を長年続けているなら、スタッフは今さら辞めるという訳にはいかない。

 だからそういう若年献身者がいる教会は、いろいろ信仰上の誤りがあるとしても、ちゃんと存続してほしい、と私は裏腹に思っている。なぜならその教会が何かの理由で頓挫してしまったら、彼ら献身者らは、生きる場所を失ってしまうからだ。

 子供の頃から教会で過ごし、教会とともに成長し、そのまま教会で働くようになった人たちは、もはや教会外では生きられない。もちろん物理的には生きていけるし、生きていく他ないけれど、それはアイデンティティを失った人生である。それまで、教会の中では何者かであった人が、急に一般社会に投げ出されて、何者でもない、誰からも認められない、通用しない存在になってしまう。いや、実は初めからそうだったのだけれど、そのことに気づいてしまう。その時は本当に悲惨である。

 たとえば長年教会スタッフをしていた人が、その教会を失ってしまったとする。それでも生活のために仕事をしなければならない。けれど就職しようとした時、ほとんど何もできない自分自身に気づく。普通に働くことは慣れればできるかもしれないけれど、教会であれほど活躍していたのに、いざ普通に働こうとしたら、全然活躍できない。
 その大きすぎるギャップに苦しむことだろう。

 だから信仰的に誤りがあるとしても、そこで長年生きてしまった人にとっては、それが最後まで続くのが幸せなのではないだろうか、と私は思う。明らかな信仰的虐待とか、金銭の搾取とか、そういう大きな問題に遭わず、それなりに充実した教会生活を送れて定年を迎えられるなら、それがいいのかもしれない。

 あるいは、間違っていることは間違っている、とハッキリ突きつけられて、一度ドン底まで落ちた方がいい、という意見もあるかもしれない。確かにその方が正しいかもしれない。

 けれどドン底まで落ちて、一時的にでもアイデンティティを失ってしまっても、そこからまた人生を前向きにやり直せる人が、どれくらいいるだろうか。皆が皆、そうできるだろうか。

 そう考えると、おかしな「異言」を語ったり、「御心」を勝手に思い込んだり、「霊的」を自称したりするクリスチャンであっても、人様に大きな迷惑をかけないなら、そういう信仰ゴッコを続けて生きるのが、もしかしたら「神様の憐れみ」なのかもしれない。

キマジメくんの今後の献身生活を想像しながら、そんなことを考えてみた。

13 件のコメント:

  1. いつもは楽しく読んでましたが、今日のはダメですね・・。
    「喝」だ!
    となっちゃいます。
    人様に迷惑かけている以上、だめなものはだめですよ。

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    1. 別の匿名でございます。

      fuminaru k さんは、虐待や搾取が無く、迷惑といっても信仰ゴッコのレベルで済むもののことを言っておられますから、「人様に迷惑をかけている以上、だめなものはだめ」という範疇のものではないと思います。普通の趣味でもその程度に迷惑なものはいくらでもあるでしょう。

      きちんとした支援システムが有って社会復帰への道筋がしっかりと整えられているのでもない限り、このような逃げ道が無いともっと社会に迷惑な生き様に行き着く人も多くなると思います。

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    2. すいません。
      「喝」だ!
      となっちゃいます。
      話しのオチとしては面白いけど、
      信仰だけはガチでいかないと。
      それなら、他のカルト宗教団体を容認することもよしとなってしまいます。
      パウロは問題教会に手紙を書送りました。

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    3. 再び別の匿名でございます。

      教会のカルト化を問題にする時は、破壊的カルトに分類されるものが問題になるのです。搾取や虐待が有ればそれはに該当します。

      一方今回取り上げられているものはそれに該当しません。したがって「他のカルト宗教団体を容認することもよしとなってしまう」ということにはなりません。

      パウロの場合は異端性が問題でありました。そこには、自分が劣っているのではないかという恐怖心を用いた偽教師に対する警告も有りましたから、カルト的な内容への警告という部分が無いわけではありませんが、今回取り上げられている事柄とはやはり内容を異にしています。

      そして、これは「話のオチとして面白い」などということではなく、そういう人達の居場所の確保ということを真剣に考えての提言であると受け止められるべき内容になっています。そこに「喝」はないというのが私の立場であります。私の方といたしましては、ここで発言はお終いにいたします。

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    4. Fumimaru.k さんがお書きになったような

      おかしな「異言」を語ったり、「御心」を勝手に思い込んだり、「霊的」を自称したりするクリスチャンは「異端性」が問題です。
      そいうひとはそういう場所からでないかぎり、主のみこころでない生き方をしているわけであり、大変そのひとにとって、不幸です。

      すというわけで、すいません。

      「喝」だ!

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    5. 教義的に異端かどうかということとカルト化とは何の関係もありません。カルト化というのは人権侵害をしているかどうかが問題になってくるからです。
      たとえば三位一体ではないと異端といわれますが、三位一体ではない=カルトではありません。三位一体でも、ホームページにそのようなことは書いていないのに、収入の一割を献金しろとか、日曜日に休めない仕事にはつくなとか、焼香を拒否しろという戒律をいうのであれば、それはカルトであるといえますし、逆に三位一体ではなくても、厳しい戒律がなく狂信的な点はみじんもないのであれば、それはカルトとはいいません。
      前者の例をあげるとキマジメ君がいっている教会がそうですし、後者の例をあげるならユニテリアンユニヴァーサルがそうだといえるでしょう。
      よって異言をやるとか、御心を勝手に思い込んだとか、霊的を自称したというだけでは、教義的にどうかという点は別として、カルトであるとは断言できません。そのようなことをやっていれば、基地外扱いされてキモいといわれたり笑いものになったりすることはあるかもしれませんが、献金は神社の賽銭程度しかしていなくて、日曜日に休めない仕事につけて、焼香をして周囲とうまくいっているなら、その人が好きでやっているのですから別にかまわないのです。
      こういう人がカルトといわれるのは、自分を教祖にした新興宗教系プロテスタントの教会を開業したときです。そのようなことをやっているわけではないなら、「あの人基地外だね」とみんなから笑われているくらいですんでしまいます。基地外扱いされて笑われているだけなら、一切相手にせずにガン無視していれば危険性はないと思います。

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    6. 教義的に異端かどうかとカルト化とは何の関係もありません?

      …本当に、そうでしょうか?

      一般論的には、「かまわない。」のかもしれませんが、キリスト教界的には「やばい」
      状況でございます。

      ま、わたしも「ガン無視」してるわけですがw

      以下の文をググっていたらみつけました。

      カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。

      1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。

      2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない

      3.自分の頭で考えることをしないように指導する

      4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ

      5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い

      6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える

      7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある

      8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる

      9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている

      10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする

      11.外部に対して正体を隠す傾向がある

      12.生活が細部にわたって規定される

      13.組織が信者の生活のすべてになっている

      14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている

      15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

      更に具体的に、ご自分で接する宗教団体がカルトであるかどうかを見分けるためには、以下のような点に注意を払うとよいでしょう。

      1.誘われたグループについて外部からの情報を集める

      2.そのグループの特徴を内部からも探る(観察、質問、内部文書等によって)

      3.どんな状況においても自分自身を見失わないようにする

      というわけで、やっぱり「喝」だ!

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    7. 他から引用するしか根拠がなく、ダメなものはダメだ、喝だ喝だと繰り返すのは、薄っぺらい正論の押し付けです。カルト被害者に対する配慮も全然ありません。
      どれだけ成人君主な方か知りませんが、これ以上のコメントは無用です。

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  2. 以前所属しておりました教会が正に、似たような所でした。
    チャーチ・スクールにも、一時ではありましたが3人の子供を通わせておりました。
    当時勤務していた会社の事で牧師に相談(した所でどうなると言うものでもないので、する気はなかったのですが、家内がしきりに勧めるので話してみました)たところ「兄弟は今の資格を生かして独立してみては」と。自分なりに頑張って営業をして、お客を獲得できればかなわないことではない。しかし牧師の胸の内は「教会事業の一環にとりこもう」としているな、と思われました。
    その道も考え・計算しつつ現職の会社も応募し、結果的に転職をし地元を離れ、やがて転勤という形で地元に戻って来ました。教会にはしばらく所属しましたが、牧師家族のカラーが強く、牧師の意見がすべてで民主主義ではなく、信仰的に基本的な事が全く出来ていない教会でしたので、まるでキリスト教を宗教とするただのサークル的な流れで、次第に呆れて来まして、他教会に転出する事にしました。
    その教会や、そのまた以前の教会で経験した事は、fuminaru kさんのこれまで書かれた内容とほぼ一致しております。
    個人的な考えとして、今の福音主義系・カリスマ系・ペンテコステ系のキリスト教は、数々の昔からある「おかしな教理」の亡霊に惑わされ、背教化しているものと思われます。目を覚ましていなさいと言われた御言葉が、正にこの事ではないのか、と思います。
    どちらかと言えば、彼らが「世的だ。聖書に忠実(?)でない。この世に合わせている・・・・・」等と批判の的にしているリベラルな教派の教会のほうが、イエスの御心に忠実ではないのか・・。地に足をつけた現実的な人生を、聖書を傍らに置きながら、時折祈りながら、人間関係を基調に置きながら、たった一度きりの人生。隣人を心にかけながらイエスの歩まれた事を思い出し、うわべでなく心から優しさを注ぐ、その様な歩みが出来るのではないかな~とふと、思いました。

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    1. 卑見をのべさせていただきますと、マリックさんはもう限界ではないでしょうか。マリックさん個人だけではなく、マリック家にはそもそも新興宗教系のプロテスタントの教会は合わないと思うのですが?
      三人のお子さんもいらっしゃることですし、自分たち夫婦のことではなく、お子さんがたのことを、神や教会よりも優先させてお考えください。宗教や教会の代わりはほかにいくらでもありますが、お子さんがたの代わりはいません。
      今の教会は日曜日に休めない仕事につくことができますか?海外に留学や転勤になっても対処してくれますか?…その答えがイエスならばお子さんがたを巻き込んでもまあいいのかもしれませんが、もしノーならば新興宗教系のプロテスタントの教会に行くのは親だけにして、お子さんがたは絶対に巻き込んではいけないのではないでしょうか。
      お子さんがたの人生はまだまだこれからです。大人になってからのことを考えていかなくてはなりません。新興宗教系プロテスタントの教会のためにお子さんがたの進路に支障があってはいけないと思います。
      世的で聖書に忠実ではない教会のほうが、お子さんがたの進路に支障をきたさないのは事実です。

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    2. 非常に重要なご指摘、ありがとうございます。
      現在所属しております教会は、福音主義系ですが、十一・焼香(原則として)以外の行動については、フリーです。
      また、子供たちも上二人はそれぞれ地方に進学で出ており、下の子も興味がありませんので、良かったのかどうなのか。
      出だしは躓きましたが、何とか成長中ですd(^-^)
      私個人は元々リベラル系ですので、今は距離を置いたと言うか、第三者的な覚めた見方をしております。
      特別用事が無ければ行きません。

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  3. まぁ、青年のみンながフランクリン・グラハムにはなれないからね藁

    それに、

    クルマの運転がすき
    ピアノがひける
    ギターがひける
    最近なら、ヒップホップダンスがうまい

    という特技がなければ、

    合唱や演劇が好き
    バイオリンがひける
    パレエが踊れる
    囲碁将棋が強い
    スポーツ全般(どれでも、またはどれか)が得意
    etc

    といった特技があっても、教会で生かしきれなくて、
    つまらない思いをすることになるでしょうからね。
    つか本格的な活動は日曜が多いから、
    新興宗教では、
    というか、正教会カトリック聖公会以外だと
    日曜か水曜の夜にしか礼拝がないから、
    やっぱり教会の集いからは縁遠くなると。

    まぁ、新興宗教や学生団体のほうがマシといえばマシです。
    カルトよりはね(爆)

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  4. チャーチスクール→神学校→教会のスタッフ
    これは新興宗教系プロテスタントの教会でよくみられるコースですね。エリートコースといえばそうなのかもしれませんが(苦笑)。
    非常に辛辣な言い方をすればですが、最終的なゴールとなる教会は、福祉作業所といっていいのかもしれませんよ。なぜならチャーチスクールや神学校で学んだところで、一般社会では何一つ役に立たないことしか学べないからなのです。大半の就職先は、自分が育った新興宗教系プロテスタントの教会で、電話番や受付等をするしかないのではないかと思いますね。教祖の子供なら親が亡くなったらそのあとをついで教祖になれますが、そういうあてがない人たちは、教祖に気に入られれば支部をまかされて聖職者となって、上納金を吸い取られてずっと教祖の風下に立つ人生になります。それは嫌だと思う人たちは、教会のスタッフとして何年か働いて経営の仕方等を学んで、自分が教祖になって独立開業をすることになるのでしょうね。
    確かに他人に迷惑をかけないのでしたら、別にかまわないとは思いますが、現実問題として新興宗教系プロテスタントの教会に通っている末端の信者ですら、携挙騒動のばあさんのようなことになるのですよ。末端信者の立場でありながら、偉大なる預言者面で多くの人々を惑わし、保険や定期を解約しようという心境にまで追い込んで、その挙句に10月が何もなく過ぎると、聖霊様が謝らなくていいとおっしゃったからといってのうのうとしているではありませんか。
    新興宗教系プロテスタントにはこういうことを起こしてしまう危険性が存在しているといえるでしょうね。

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