クリスチャンと安息日について

2014年10月9日木曜日

体験談から

t f B! P L
 前回はクリスチャンとタバコについて書いた。今回は「安息日」について考えてみたい。
 
 実はこれは、少し前に投稿していただいた体験談に基づいている。大変興味深かったので、ずっと記事にしたいと思っていた。ちなみに投稿者の許可は得ているが、団体名等は伏せておく。
 
 ある教団は安息日(金曜の日没から土曜の日没まで)を非常に重視している。
 その日は仕事のみならず、娯楽も禁止、家事も禁止、テレビやラジオの視聴も禁止、音楽はキリスト教関連のもののみ可、とのこと。ちなみに教団関連の医療福祉施設の職員は、働いて良いことになっている。
 
「安息日」は旧約聖書の規定で、いわゆる「十戒」にも含まれている。いわゆる土曜日1日、「何のわざもしてはならない」と書かれていて、「労働」を禁止しているように読める。その意味で、上記の教団は聖書をそのまま実行しているように思える。
 
 けれど安息日の神様の意図は「休みなさい」というところにあると思う。働くのは週に6日間で十分だから、1日はちゃんと休みなさいよ、みたいな神様の人間に対する配慮のように私には思える。つまり「禁止」というより、文字通り「安息」という意味合いである。
 
 そのへんを勘違いして、「安息日には何もしてはいけない」という「禁止」にばかり目がいく律法学者が大勢いたらしい。だからイエス・キリストは、彼らにこう言っている。
「あなたがたは安息日にも牛や家畜に水をあげてるでしょうよ」(ルカ13章から・筆者による意訳)
 だから、「安息日だから何がなんでも何もしてはいけない」というのは、勘違いが過ぎる。神様の意図を履き違えて、勝手に自分たちのルールにしてしまっている(信者が全員それに納得して集っているなら、特に問題ないかもしれないけれど)。
 
 それに旧約時代のイスラエル人に与えられた命令が、新約時代である今日の、しかも異邦人である私たちにも有効なのか、甚だ疑問である。
 
 その投稿者がある土曜日、家の掃除をしてから教会に行ったら、少し遅れてしまった。すると他の信徒から、お叱りを受けた。「安息日は家事を含め一切の仕事をしてはなりません。覚えておいて下さい」
 その信徒は教団のルールには精通しているようだが、どうやら聖書はちゃんと読んでいないようだ。
 
 そこまで厳格にされると、むしろ「何もしない」ように「する」必要が出てくる。「休んでいい」という話でなく、「一歩も動くな」という命令になってしまう。「動かない」ように「じっとして」いなければならなくなる。しかしそれは、逆に「労働」であろう。
 
 その教団の最初の動機は、「聖書を忠実に守りたい」という純粋なものだったかもしれない。しかしそれが結果的に、信徒をガチガチに縛り上げることになるとしたら、動機が純粋かどうかはもはや関係ない。単なる律法主義である。
 
 またその教団に属する限り、土曜勤務のある仕事はできない。あるいは土曜を必ず休みにしてもらわなければならない。そしてそれができない職場には就職できないし、いるなら転職しなければならない。
 
 しかしそれもやはり、聖書の意図を履き違えている。それに農耕牧畜がメインだった社会と現代とでは、社会環境が全然違う。現代日本は第三次産業が中心なのだから、土曜勤務がある業種なんて相当多い。そこで土曜に必ず休める業種や職場を選ぶとしたら、就職の幅がかなり制限されてしまう。やりたい仕事もできないかもしれない。

 そんな風に信者を縛り付ける教義は、やはりおかしいと私には思えてならない。

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