教会の「健康状態」の見極め方

2014年10月28日火曜日

教会の「健康」

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 教会の「健康状態」を測る方法はいくらでもあるだろうけれど、私が特に注目すべきと思うのは、牧師の「家族の精神状態」である。それも子どもより、配偶者(多くは夫人)に注目すべきだと思う。
 
 ちょっと前に "Ministry" という雑誌に、「牧師夫人」をテーマにした記事があった。なかなかない視点だと思う。興味があって立ち読みしたけれど(すみません、買ってません)、やはり、牧師夫人にはいろいろありそうであった。
 
 同時に、これはタブー視されがちな話題だ。少なくとも教会員が、そこの牧師に向かって、「奥さんの精神状態は大丈夫ですか」などとは言えない。とても言えない。「夫婦の問題に立ち入るな」という話になってしまうし、それはそれで一理あるからだ。
 
 けれど一方で、そういう理由で牧師夫人の抱える苦悩や葛藤が覆い隠され、見えなくなっているケースもあると思う。
 
 牧師夫人は、教会では言わば「みんなのお母さん」みたいな存在であろう。特に女性信徒にとって、何でも相談できる人、あるいはそうであってほしい人であろう。そしてそういう役割を喜んで引き受ける根っからの「お母さん夫人」もいれば、実は重荷に感じながら無理している夫人もいる。
 後者の場合、深刻な問題にもなり得る。
 
 ある牧師夫人は、とても献身的で、誰にでも優しく、よく働き、よく祈る、まさに理想の「牧師夫人」だった。私も初めて見た時、こんな人が本当にこの世に存在したのか、と感動したものだった。
 
 けれどその教会が成長していくのに反比例して、夫人は元気をなくしていった。相変わらず優しく、一生懸命に仕えているのだけれど、どこか悲壮感があって、見ていて痛々しい時があった。そして時折、不可思議な言動もするようになった。
 
 夫人を心配する声も一部で上がった。けれど、前述の「夫婦の問題に立ち入るな」で断ち切られた。また夫人の心配をすることは、その夫である牧師の問題を指摘することに直結する。そうなると、何人かの信徒が集まったところでどうにもできない。下手すると牧師と対決することになるし、それは信徒生命を懸けることにもなるからだ。
 
 また問題は、それに気づくのが一部の信徒しかいない、という点にもある。古くからいて、牧師夫妻と個人的に親しい位置にいる信徒でないと、見えてこないのだ。日曜礼拝の前後にちょっと接するくらいでは、全く気づかない。また、夫人もそういうのを懸命に隠そうとする。
 
 いつも多くの信徒に囲まれ、皆に頼られ、ともすると華々しくも見える牧師夫人が、実はその陰で孤独に悩み、苦しんでいる、という図がある。
 もちろん、一部の教会だけの話だろうけれど。
 
 その夫人がその後どうなったかは書かないけれど、教会は大きな問題を起こした。というか、牧師が大きな問題を起こした。
 そのことから、断言できることが2つある。
 1つは、「夫婦の問題だから」で片付けてはいけない場合がある、ということだ。何らかの方法で介入しなければ大変なことになってしまう、というケースは、少ないかもしれないけれど、存在する。
 もう1つは、牧師夫人の精神状態が不健康なら、その教会も致命的に不健康だ、ということだ。確実に、牧師個人に問題がある。自分の妻を大事にできない人間が、そうでない他人の集団を、大事にできる訳がないからだ。
 
 何かできるかどうかは別として、その教会の健康状態を見極めるには、牧師夫人の健康状態を見極めるのが一番だろうと私は思う。
 どうかあなたの教会の牧師夫人が、心底元気で、生き生きしていることを願う。
 
追記)
「牧師夫人が元気で生き生きしている」というのは、あくまで健全、すこやか、安定、という意味合いである。カネの亡者であるとか、専制君主的であるとかいう意味ではない。それはそれで不健全であって、やはり問題がある。

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