2014年10月13日月曜日

【解説】キマジメくんのクリスチャン生活・信仰自慢篇・終末信仰篇

「キマジメくんのクリスチャン生活」第15話~第16話の解説。信仰自慢篇と、終末信仰篇。
 本文はこちらから。

→第15話
→第16話

・信仰自慢篇

 いわゆる「裕福家庭」であるリッチ兄弟の家に、キマジメくんが招かれる。そしていろいろ「交わり」をするのだけれど、それがリッチ兄弟の家庭自慢、信仰自慢に終始する、という話。
 口では「君の話を聞きたい」と言うけれど、フタを開ければ自分の子どもの自慢だったり、どれだけ教会に献金しているかの自慢だったりする。彼がそれをどれだけ意識してやっているのかわからない。もしかしたら純粋に「証」をしたいだけかもしれない。けれどそうだとしたら非常に無神経だ。その自慢が、あまりに露骨だからだ。それを聞かされる相手がどう思うか、もうちょっと考えるべきだろう。

 こういう「信仰自慢クリスチャン」は、少なからず存在する。金持ちかどうかは関係ないかもしれないけれど、金持ちの比率が高いようにも感じる。言わなきゃいいのに、これだけ献金したとか、これだけ断食したとか、こんなすごい恩恵を受けたとか、こんな栄誉を受けたとか、有名企業に就職できたとか、そういうのを「証」と言って満面の笑顔で披露する。

 私は全然できていない人間なので、そういうのには近づかないようにしている。不愉快になるだけだからだ。

 ちなみに信仰自慢というと、ルカ10章17節を私は連想する。
弟子たち「あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」
キリスト「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません」

 やはり人間というのは、自慢したくなる生物なのだと思う。クリスチャンだからといって特別なことは何もない。

・終末信仰篇

 これについては「終末」に関する問題というラベルでも書いているので、そちらを参照していただきたい。
  だいたい、終末信仰を強調する牧師には、前駆症状として「イスラエルかぶれ」がある(と言ってイスラエルが悪いということではない)。1948年のイスラエル建国以来、その傾向は強まっている。「イスラエルが再建されたのは神の奇跡であり、預言の成就だ。そして残る預言は、携挙と患難時代だけだ」という訳で、もう間もなく終末が到来する、と主張する。

 しかし、最後の預言が残っているだけだから終末が近い、というのも論理的に飛躍している。たとえば孫悟空と仲間たちがドラゴンボールを探していて、6つまで見つかった。すると残りは1つだ。じゃあ最後の1つだからすぐに見つかるのか、というと、全然そんなことはない。かえって見つけ難いかもしれない。あるいは本当にすぐに見つかる可能性もある。本当のところは「わからない」のだ。

 またそういう「終末ムード」を助長するメディアも盛んに作られている。映画やアニメでは「終末」や「世界の破滅」は定番のテーマだし、学研の「ムー」もそんなことを何十年と書き続けている。海外のクリスチャン(?)メディアにも、終末を煽るオドロオドロしい映像をたくさん流しているところがある。
 けれど、そういう終末話は何千年も前から取り上げられ、語られてきている。そういうのに飛びつくのが、人間心理なのかもしれない。

 私自身は、いつ終末が来てもおかしくないと思っている。「福音が全世界に宣べ伝えられてから」という表現をどう解釈するかという話もあるけれど、近いうちには来ない、とも言えない。もちろん近いうちに来るとも言えない。
 私が大事だと思うのは、いつ来るかという話でなく、どう生きるか、という話だ。終末論者が言う、「もうすぐ終末だから準備しなければ」というのは、一見信仰的な気がするけれど、よく考えるとそうではない。以前も書いたけれど、「主が来られるから良いクリスチャンでいよう」という発想がそこにあるからだ。たとえるなら「試験前夜だから勉強しなきゃ」みたいなもので、それはその人の本来の姿ではない。ヤバいから取り繕う、という、面目を重視した姿勢でしかない。
 そんなものを神様が望まれるかどうか、一目瞭然であろう。
 終末信仰を叫ぶ牧師や団体には要注意である。

2 件のコメント:

  1. 電波系鬼畜ライターの村崎百郎氏がこんな文章を書いていたのを思い出しました。

    破滅の予言を頻繁に語るキチガイの根底にあるのは、「自分が特別視もされず支配もできない世の中なら、いっそ滅びてしまえ!」というとびきり矮小でワガママな思いがあって…(以下略)

    彼の指摘でだいたい当たっているのではないでしょうか終末詐欺師の心理は。要するにゲームをしている子供が、自分が負けそうになるとスイッチを切ってしまうのと同じことなのです。これからもこういう終末詐欺師がいくらでも出てくるのでしょう。人間とはかくのごときおろかな営みを太古の時代からずーーーーっと続けてきたのです。今は亡き村崎氏のこの発言は永遠に語り継いでいかなくてはならないと思いました。

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  2. 高慢になる信仰者はいつの時代にもおられたでしょう。
    終末詐欺もいつの時代にもあったようです。
    所詮「宗教」です。
    聖書は必ず「誤りを含む」と言う立場に立たないといけないと思います。
    だって、人間が書いて編纂したんでしょう?
    「真理」などないのです。始まりも終わりもないと思います。
    一体私の限られた「生きる」期間で、何が解るというのでしょう??
    神と言う方はおられるでしょう。しかし「キリスト教」で説明されている神は本当の神でしょうか?
    今この世界で、「生を与えられた世界で精一杯生き抜く」。この事こそ必要不可欠な事ではないでしょうか?
    くだらない「宗教」教義・教理・理論・流行・運動には、嫌悪感しかありません。

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