人は誰でも大切に扱われるべきだ、という話

2014年9月21日日曜日

生き方について思うこと

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「権利擁護」が叫ばれて久しい。

 最近の日本で言うと、2003年施行の「個人情報保護法」がその特徴的な動きだと思う。そのあたりから、女性の権利を守ろうとか社会参加を促そうとか、高齢者を虐待から守ろうとか、そういう具体的な人権擁護が法整備されてきている。たとえば介護の現場で言えば、勝手に動いて危険のある認知症高齢者を「縛る」のは一昔前なら当たり前だったけれど、今は「縛らない介護」が目標とされている。現場の負担が増えても、権利擁護には替えられないという訳だ。

 20世紀から21世紀は、歴史的にみても「人権」が注目された時代ではないかと思う。人種差別の撤廃など、各地で何世紀も続いた人権問題が大きく動いたのは、ここ数世紀の話だ。そして、個人レベルでの体感は別として、国が人権を守ろうとして動くのは、背後にどういう思惑があるにせよ、良いことだと思う。何世紀か前と現在とで、格段に暮らしやすくなったという地域は少なくないはずだ。

 とはいえ、差別がまだまだなくならず、人権の守られない状況がそこここで続いているのもまた事実だ。先日都議会でも、懲りずに女性蔑視発言があったと聞く。「ブラック起業」という言葉はまだ新しいけれど、その現場では明らかな人権侵害が今日も行われていると思う。

 また、ブラック起業でなくても、職場の上下関係には、「部下の権利は多少無視してもいいでしょ」みたいな意識が潜在しているように思う。
 部下は基本的に上司の言うことに従わなければならないし、逆らうにしても覚悟が必要だし、そういう覚悟を連日繰り返す訳にもいかない。だから(一般論として)上司は無茶を言いやすい立場にあり、部下は無茶に黙って従う立場にある。

 最近、知り合いに子どもが生まれた。奥さんが無事出産して、知り合いはその日は休んだ。しばらく休むのかと思った。けれど、すぐに出社してきた。いわく、仕事が立て込んでいるとのこと。
 彼の仕事内容と忙しさは私もよく知っているけれど、はっきり言って、絶対休めない程ではない。代わりはいくらでも立てられるはずだった。いろいろ聞いてみると、上司のこんな一言があったのがわかった。「自分は子どもが生まれた日も休まなかった」
 その知り合いが将来、自分の部下に同じことを言わないよう願うばかりだ。

 あるいは「いじめ」という問題もある。学校だけの話ではない。職場でもそれは横行している。
 いじめはいじめられる方にも問題がある、という意見があるけれど、私は納得しかねる。いじめる側が強者であり、絶対安全の立場にある限り、それは明らかな人権侵害だからだ。この意見は、殺人事件を見て「被害者にも落ち度はあった」と言うのと同じだ。相手に落ち度があるなら殺してもいい、という話になってしまう。

 これは人間の尊厳に関わる問題だ。
 すべての人に尊厳があり、すべての人が理由なしに尊ばれる権利を持っている。何の差別もない。不当に虐げられていい人などいないし、いじめられて当然な人もいない。家庭でも職場でもどこででも、あなたは尊重され、大切に扱われるべきだ。そしてあなたも、まわりの人をそのように扱うべきだ。
 それが人権擁護の本質であろうと私は思う。
 また聖書も、そのような生き方を推奨している。

 人権擁護について、何となく考えていたことを書いてみた。私もそのように生きたいと思う。またこれを読んだ誰かにもそのように生きたいと思っていただけたら、幸いである。

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