惑星が珍しい運行をするから神様が特別なことをする、という幼稚な発想について

2014年9月21日日曜日

「終末」に関する問題

t f B! P L
「天のしるし」を信奉するクリスチャンがいる。

「天のしるし」とは簡単に言うと、太陽系の惑星が何千年かに一度の珍しい運行をするとき(惑星直列とか月食とか日食とか)、地上で神の特別な働きが現れる、というような星占い的な信仰のことだ。
 特に2014年から2015年は非常に珍しい運行になるとかで、特に重要なことが起こると言っている。彼らの普段の言動から、それが携挙を示唆しているのは明らかだ。

 けれど私が思うに、星が珍しい動きをするから神様が特別なことをする、というのは発想が単純すぎる。普段見られない自然現象が起こるから何か特別なことが起こりそうだ、というのは一昔前のSF映画的発想、あるいは幼児期にみられる発想だ。成長すれば、外部で特別なことが起こるからといって自分自身にも特別なことが起こるとは限らない、ということがわかる。

 他にも、彼らはそこにユダヤの祭りの時期も絡めて「特別感」を強調している。けれど、同じ話だ。希少な出来事が起こるから神が特別なことをされる、というのがその根拠となっている。というか、それしか根拠がない。どこに論理性があり、客観性があるのだろうか。「出がけに下駄の鼻緒が切れたから良くないことが起こる」とか、「黒猫が前を横切ったから不吉なことが起こる」とか、そういうレベルの話ではないだろうか。

 それに、そういう星の運行一つで神の働きを予見しようとするのは、神様を自分勝手にコントロールしようとすることだ(できないけれど)。あるいは、「神様の計画はお見通しです」と言うようなものだ。神様の働きは自分の考えや想像の範疇にあり、したがってその動きを読むことができる、と言っているのと同じだ。
 つまり神様を自分と同列、あるいはちょっと下に置いてしまっている。本人たちは気づいていないだろうけれど。

 あくまで仮定の話だけれど、あなたに携挙を起こす権限が与えられているとする。あなたは好きな時に、携挙を起こすことができる。
 ただし条件がある。聖書が言う通り、そのタイミングは「盗人のよう」でなければならない。つまり、思いがけない時に起こさなければならない。「今夜くるかも」みたいなことを誰にも悟らせてはならない。それで、あなたはどういうタイミングで携挙を起こすだろうか?

 私だったら、星が直列する時とか、珍しい天体現象が事前に予測されている時とか、そういう時は選ばない。上記のような連中に予告されそうだからだ。もし星の直列に絡めるのだったら、直列する1日前とか、直列して1日経ってからとか、彼らが「えっ、今?」と言うようなタイミングを選ぶだろう。

 しかし神様は、それよりもっとすごい、誰も考えもつかないようなタイミングを用意されると思う。それが起こった後で、「もうこのタイミングは神様でしか考えられないでしょ」とみんなが感嘆するようなタイミングを選ばれるはずだ。上記の連中のような「星占い」で当てられるような、興ざめなことを神様は決してしないと私は思う。

 神様を軽んじてはいけない。甘く見てはいけない。そのなさることを人間は制せられないし、予測できないし、止められない。
 私たちは神様が何をなさるか、事前に知ることはできない。というか、隣に座っている人が何をするかさえ予測できないのだから、まして神様の行動などわかるはずがない。しかし、私たちはその行動原理は知っている。神様の行動原理は、ちょっとクサい表現だけれど、「愛」だ。

 今すぐ携挙が起こらず、彼らが言うタイミングで携挙が起こらないことを、彼らは神様に感謝すべきだ。何故なら神様は愛深いお方だから、信仰の誤りに気づいて悔い改める猶予を、各人に与えておられるのだから。

追記)
 今日が終末に近いという言い分の背景には、下記のような計算もある。

 アダムからアブラハムまで2000年、アブラハムからキリストまで2000年、キリストから現在までが2000年で、合計6000年。それに患難後の千年王国をくわえると7000年で、キリが良くなる。だから今が終末だ、というもの。

 これまた、単純で、誰でも思いつく発想だ。こんなにキリの良いことをするなら、逆に神様は聖書でそう宣言されたのではないだろうか。

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