ハロウィンを悪魔崇拝と決めつけるクリスチャンの浅はかさ・その2

2014年8月6日水曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
 前回に続いてハロウィンの話。

 元悪魔崇拝者(自称)のジョン・ラミラスという人がいて、今はクリスチャン(?)になっているようだけれど、これが「ハロウィンは悪魔の祝日」説を展開している。ハロウィンに関する一般的な通説は全部ウソで、悪魔が人に憑りつくために巧妙に仕掛けた罠だ、という。
 
 悪魔が巧妙だということ自体に私は同意する。けれど、果たして同氏の説に登場する悪魔は、巧妙なのだろうか。
 
 
 まず驚きなのが、「カボチャは悪魔の通り道だ」というトンデモ話。カボチャをドアの前に置くと、悪魔が家に入ってくるという。そして憑りつかれて、四代に渡って呪われるという。
 この冒頭ですでに「ちょっと待ってくれ」である。

 なぜなら悪魔はどこにでもいるからだ。悪魔は天国のミーティングにだって参加できる(ヨブ記1章6節)。カボチャがあろうがなかろうが、悪魔は私たちの家に入ってくる(というか、いる)。防ぐ手立てはない。
 それをカボチャを置かないことで制限できるなら、世界はもうちょっと良くなっているはずだ。世界中のカボチャ畑と、スーパーのカボチャ売り場以外は(ここ笑うところ)。
 
 次の驚きは、「カボチャ経由で入ってきた悪魔に憑りつかれる」というくだりだ。
 確かに聖書には、悪魔に憑りつかれた人というのが登場する。だからそういうこともあるのだと思う。けれど少なくとも、クリスチャンはイエス・キリストに贖われた(買い取られた)存在であり、「聖霊の宮」でもある。「悪魔が入るのは空っぽの家だ」というような意味の箇所もある(ルカ11章24節)から、クリスチャンが悪魔に憑りつかれるということは、あり得ない。
 だいいちカボチャごときで誰も彼もが悪霊に憑かれてしまうなら、人類はすでに大部分が悪霊憑きになっているだろう。カボチャで悪魔に憑かれるなど、もはやB級ホラー映画の世界だ。
 
 3つ目は、「仮装するとアイデンティティを失い、クリスチャンでなくなってしまう」という話。もはや反論するのもバカらしいのだけれど、これはつまり、キリストの救いは仮装一つで簡単に無効になってしまうという主張だ。十字架の血潮もキリストの愛も、仮装一つで簡単に人から離れてしまうというのは、キリスト教の根幹をゆるがす大問題である。神は実は、人間を愛しておられないのだろうか? 私たちは本当に救われているのだろうか? はたして救われる人間はいるのだろうか? そんな絶望に叩き落されてしまう。もはや悪魔など関係ない。憑りつくとか呪うとか、そんなの後にしてくれ。
 
 という訳で、ラミレス氏の主張は、キリスト教教理を思いっきり無視している。本当にクリスチャンなのだろうか。もしかしたらクロスチャンとかクリソチャンとか、一文字違いのバッタものなのかもしれない、と言ったら言い過ぎだろうか。
 
 私はべつにハロウィンに興味はない。あってもなくてもどちらでも構わない。けれどここまで聖書無視の暴論が拡散されてキリスト教があらぬ誤解を受けるのは避けたいので、ハロウィン擁護の記事を書いた次第である。

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