ガザ地区侵攻についてイスラエルを批判するのは、反イスラエルなのか。

2014年7月24日木曜日

キリスト教信仰 時事問題

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 イスラエル軍によるガザ地区侵攻が続いており、21日の発表によると、パレスチナ人の死者は500人を越えていて、その大部分が一般市民だと報じられている。
 これに対するデモがあちこちの都市で起こっていて、イスラエル国内でも起こっている。けれどイスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスの施設に重大な損害を与えるまでは作戦をやめない、と明言している。

 上記は日本でNHKのネットニュースやSNSなどで一般的に得られる情報である。そこにはハマスによる情報操作がある、という説もあって、事実が捻じ曲げられて伝えられている、という。けれどそれが本当なら、イスラエル国内を含む世界中が騙されているということになって、もはや何が真実かわからない。

 だから前述の報道が事実だと考えて書く以外にないけれど、やはり私は、多くの一般市民が犠牲になる「侵攻」には反対だ。イスラエル側にも正義はあるのだろうけれど、旧約時代じゃないのだから、「女子どもに至るまで聖絶する」のは許されないはずだ(もちろんイスラエル軍がパレスチナを聖絶しようとしているという意味ではない)。

イスラエル人の自衛の為ならパレスチナ人が死んでもいいのか」という問いは裏返すと「パレスチナ人が犠牲にならない為にイスラエル人が死んでもいいのか」という問いになる、と言う人がいる。何が言いたいのかよくわからないけれど、これはそもそも、イスラエルかパレスチナか、という話ではない。天秤にかけてどうという話ではない。一般市民がある日突然殺されてもいいのですか、という話だ。

 また他にもこんな意見がある。「他の地域でも紛争や虐殺がたくさん起きているのに、なぜガザの為だけに声を上げるのか。それは人権擁護でなく反イスラエルなだけだ
 もちろん世界情勢に詳しく、そういう情報が日々入ってくる立場にあるのなら(そしてそういうことに時間をかけられるのなら)、たくさん声を上げる必要があるだろう。けれど大多数の人はそこまで地域情勢に詳しくないし、情報もないし、日々の生活もある訳だから、どこで何が起こってるか完璧に網羅することなどできない。不幸な現実が起こっているのは悲しいけれど、情報入手には皆それぞれ限界がある。
 そういう中、最近で言うと、今ガザ地区でこんな惨事が起こっている、という声が多いから、私たちも知ることができたのだ。そうでなければ、おそらく知らずに終わってしまう。そして知ったからこそ、声を上げるのだ。そしてそれは、反イスラエルとは全然関係ない。人権が踏みにじられている現実に対して声を上げているのだ。
 それにこの意見には、「自分はこれだけ世界情勢に詳しい」という自負というか、自慢みたいなものを感じる。個人的にはいやらしく聞こえてならない。

 私にとってこの「侵攻」は人権問題であって、一般市民、特に子どもが殺されていくのは本当に忍びない。と言っても遠い国でぐちぐち書いているだけなのだけれど、それでも何もしないよりは良いと思っている。
 そして私はガザ地区に対するイスラエルの「行為」に対してノーと言いたいのであって、イスラエル国家とか、民族とかに対してどうこう言いたいのではない。
 ディベートで相手の意見には反対するけれど、相手の人格を否定するのでない、というのと同じだ。
 だからここ最近のイスラエルへの批判をつかまえて、いちいち「反イスラエルだ」と決めつけるのは、違うと思う。

 それと、イスラエルへの批判を何でもかんでも「反イスラエル」と決めつけて悪しきものとするのは、牧師への批判は許されない、という牧師の神格化に似ている気がする。牧師だから神の器、神の代弁者であって、何の間違いも犯さない、神聖不可侵な存在だ、というのがその意味だ。これをそのままイスラエル国家に適用するなら、イスラエルは何をしても許される、それを批判してはいけない、ということになってしまう。それがどれだけ危険なことか、普通に考えればわかるだろう。

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